農耕民族の血が騒ぐ?

ここ最近の我が家の食卓は、家庭菜園の収穫物に彩られなかった日は無い。紫蘇(緑/赤)、バジル、セージといったシソ科の植物たちの葉は、処理に困 る程、毎日沢山採れるし、一時期収穫量の落ち込んでいたアスパラガスも、ほぼ毎日採れるようになった。本日が最後の収穫となったが、少し変わったところで は、アーティチョークも充分に堪能できた。今後は、空芯菜が収穫期を迎えるし、秋にはハバネロが採れ、初冬にはホース・ラディッシュも掘り出せる筈だ。

こういった作物たちは、夫婦2人で食べる為には、ある意味充分過ぎる程の収穫量があるのだが、食材という視点からすると、日々の料理に用いる材料の ごく一部にしかならず、食料としての野菜を全て自給自足できるようなレベルには程遠いし、例えば我が家の家庭菜園で採れる作物を全て何処かで購入したとこ ろで、金額的には高が知れている。では何故、わざわざ家庭菜園に凝るのか?それは、毎日、少しでも何かを摘み取る、刈り取る、掘り起こす、といった「収穫 する行為」が悦びに満ちているからに他ならない。勿論、自家製の食材を用いた料理は食べても美味しいし、ものを食べるという行為は元来楽しいものだが、収 穫の悦びというのは、消費の悦びに勝るものがあると思う。オヤヂには狩猟の経験は無いものの、漁(魚釣り)の経験は多少あり、それはそれで魅力に溢れてい ることも知っている積りだが、やはり農耕民族としての日本人の血が騒ぐのだろうか、家庭菜園作りは情熱を注ぎ易く感ずる。

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