Alzheimer氏病が怖いから…

緊急残業のせいで妻の帰りが明け方になったので、昨晩のオヤヂは、突然独りで過ごすことになってしまった。オヤヂは料理をするのが嫌いではないし、元来妻が家に居てもお構いなしに独りで好きな事をしているタイプなので、妻の帰りが遅くなろうとも全く困らない筈なのだが、昨晩は料理を作るのが面倒だった一方、ひもじい思いの侭では趣味に勤しむ気にもならず、ビール+ポテチを手にしてソファーに寝転び、ボーっとTVを見て過ごすことになってしまった。

すると深夜に、(臨床的に狭義の)Alzheimer氏病(若年性認知症)を患う人々の生活を追ったドキュメンタリー番組(「消えゆく記憶」)をやっていた。65歳以下という、日本の現代社会では「まだまだ若い」部類に入る年齢のうちに、惚けてしまって40年間連れ添った妻のことさえも忘れ去ってしまう夫。自分のことを忘れてしまわれても、惚けた夫を見捨てられずに(これが真の愛の一形態なのか?)苦しむ妻。そして、実は時々”記憶が戻る”中で、自分が若年性認知症であることに気付いており、妻や周囲の人々に迷惑を掛けたくないので死んでしまいたい、と想いを手帳に綴る夫。その手帳を偶然見つけて涙する妻。視聴者としてその夫婦を傍観しているだけの筈のオヤヂさえも、まさに明日は我が身と思わざるを得ず、涙を堪え切れなかった。

20年前、オヤヂが大学を卒業する際に、Alzheimer氏病の研究分野に職を得た同級生がいたっけ。彼はどうしているのかなぁ。この20年で、Alzheimer’s diseaseの発病のメカニズムの解明も随分と進んだようだし、それに付随して予防薬や治療薬の開発も長足の進歩を遂げつつあるようだ。けれども、画期的な治療法は未だ確立されてないのもまた事実である。

惚けたら捨てるよ!と妻に宣言されているオヤヂは、ここで決意を新たにした: 刹那主義的に生きてやるぞ。いつ惚けて記憶が消え去ってしまうか判らないのだから、今この瞬間、やりたいことで実行可能なことを、どんどんやってやる。明日になって、「前日に実行できずに終わってしまったけれど、まだやりたい事」というのを憶えている/思い出せるうちは、できるだけそれをやってやる。実行できない理由が経済的なものだったら、借金を重ねてでもお金を捻り出してやる。物質的なものだったらお金で買えないものは無いだろうし、時間だってお金である程度何とかなるだろう。自分の能力(知力、体力、精神力など)に関する問題解決は少々厄介だが、とにかく、オヤヂは今後益々刹那主義で行くぜぃ!

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