帰宅難民

昨日の東北関東大地震の際には、オヤヂは偶々、大船に居た。十数階建てのビルディング内に居たオヤヂは、地震直後に停電が起きたことには気付いていたが、暫くして屋外に出てみると、大船の街全体が停電しており、しかも公道の信号灯まで消えていたのには驚いた。信号機が使えないので、公共交通機関(バスは勿論、タクシーも)も取り敢えずは運行を休止しているようだった。

大船駅から然程遠くないところに居たオヤヂは、(バスやタクシーが使えないので)仕方なく徒歩で大船駅に行ってみた。すると、夕方(午後5時頃)の大船駅は人々でごった返しており、改札口では駅員が拡声器で何か叫んでいた。駅員が叫んでいたのは、要約すると以下の内容だった:

  • 地震直後からJRは列車の運行を見合わせており、運行再開の見通しは立っていない。
  • バスやタクシーは比較的すぐに動き始める可能性があるので、それらの交通機関を利用して目的地に向かえ。

えぇーっ!? そんなこと言われたって、オヤヂは埼玉まで戻らなきゃならないんだから、バスやタクシーというのは無理でしょ。それに、信号灯が消えているので、交差点では四方から押し寄せた自動車が進むに進めず大渋滞で、いつになったら「目的地」に着けるのか不明だし。いっそのこと、取り敢えずは戸塚駅まで歩いてみるか?

戸塚駅に着けば、少しは「東京」(延いては埼玉)に近付くし、そのうちに列車も動き始めるかもしれない、という程度の、根拠の無い無謀な発想だったが、その侭大船駅の雑踏の中に留まっていても埒が明かない気がしたので、オヤヂはとにかく、歩き出した。

それなりの覚悟を決めて歩き始めたオヤヂではあったが、情けないことに、その覚悟は程なくして後悔に変わってしまった。まず、東海道線の線路沿いに沿って歩けば、やがては戸塚に着く筈だ、というオヤヂの目論見はすぐに砕け散ってしまった: 大船駅から戸塚駅まで、お誂え向きに線路に沿って伸びる道など存在しないのだ。尤も、オヤヂと同じように戸塚方面に歩き始める人は他にも大勢居たし、道路には標識(案内表示板)もあることだから、人々の流れに沿って歩き続ければ、一応は戸塚に向かって行けそうではあった。

けれども、暫くして日が暮れ始めると、様子が激変した。信号機が機能していない(信号灯が消えている)のは知っていたが、街灯も消えているし、それだけではなく街路沿いの店の明かりや、民家の明かりさえも、悉く消えていることに、オヤヂは改めて気付かされた。そしてそれに気付いてみると、要するに辺りが「暗闇」であることに恐れおののく結果となった。知らない街の知らない道を、暗闇の中で歩くことが、あれ程心細いことだとは、この時迄オヤヂは気付いていなかった。田舎道なら想像に難くないけれど、それなりに都会の道であっても、「暗闇」だと田舎道と同じなんだね。右も左も前も後ろも、とにかくすぐ近くでさえも見え難いし、ましてや遠くなんて全然見えないから、道がどっちに向いて続いているのか、真っ直ぐなのか、曲がっているのかさえも、定かではない。当然、案内表示板だって全然見えない。あることすら判らない。表示板があっても、明かりがないと読めない。ふと気が付くと、一緒に歩いていた筈の人影すら、殆ど見えない。嗚呼、何たる孤独感と絶望感に苛まれていることか!

それでも、時折通る自動車のヘッドライトの明かりを頼りに、オヤヂは何とか戸塚駅に辿り着くことができた。既に時刻は午後7時過ぎになっていたが、街は未だに停電したまま。しかし、驚いたことに(?)、戸塚駅の駅舎には何事もなかったように明かりが点り、大船駅以上に人々でごった返していた。地震発生後、数時間が経過しているのだから、そろそろ列車が動き始める頃かも?と思いながら、改札口に近付いたオヤヂの期待はしかし、あっさりと裏切られた。本日、JRは関東地方の全線で終日運休を決定しました、という旨のお知らせが、電光掲示板や張り紙で、そこらじゅうに出されていたのだ。地下鉄も、同様に動いていない。2階も1階も地下も、あらゆる改札口には、警察官や駅員が立ちはだかり、プラットフォームには誰一人立ち入らせないぞ、という当局の姿勢がありありと見て取れた。

列車で東京(=埼玉)方面へ向かう望みを完全に断たれてしまったオヤヂは、暫し途方に暮れていたが、ふと、自分の空腹と口渇に気付いた。考えてみると、大船駅から戸塚駅に歩いてくる道中、コンビニエンス・ストアの電気が消えていて飲食物の購入が不可能だっただけでなく、自動販売機も停電で使用不能だった為、地震発生以来数時間、飲み食いが一切できていない。幸い、駅舎内にあるコンビニエンス・ストアには明かりが点っており、人々が飲食物を買い求めているのは明らかだ。ということで、オヤヂも食料と飲料を買うために、店内に入ってみた。ところが、驚いたことに、既に飲み物も食べ物も、殆ど残っていなかった。ほぼ空になった商品陳列棚には、普段いかにも不人気そうなスナック菓子の一部と、アタリメ等の酒の肴、及びワンカップの日本酒が残されているのみで、弁当やサンドイッチの類や、清涼飲料水の類、そしてビールすらも、一切残されていなかった。仕方なく、不味そうな菓子と、酒の肴、そしてワンカップ日本酒を購入したオヤヂは、駅舎の外に出てみた。

すると、人々が長蛇の列を作っているのに、今更ながら気付いた。どうやら、横浜駅行きのバスを待つ人の列らしいことが、すぐに判明。しかし、どう見ても千人以上が並んでいるのに、バスが来ている気配は殆どない。けれども、他に東京方面に向かう手立てが無いオヤヂとしては、とにかく列に加わって、ひたすら待つしかなかった。そしてオヤヂは、暗闇・寒空の下で約4時間、バスを待ち続けたが、結局バスには乗れなかった。長蛇の列の最後尾では、列の先頭の様子は全く判らなかったが、時々列の先頭の様子を偵察に行っては戻ってくる男性の話から推測するに、途中からバスは来なくなってしまったようだ。後で聞いた話では、道路が渋滞していて、バスやタクシーは事実上走行困難な状況だったらしい。

本来ならば暖房の効いた列車に乗ってとっくの昔に帰宅していた筈のオヤヂは、現実には暗闇の寒空の下、たいした防寒効果も無い薄着の侭で、寒さに打ち震えながらひたすらバスを待っていた。午後10時頃になって、漸く戸塚の街が停電から回復したので、それ以降は電灯の明かりの下で待つことができたが、当たり前なれど寒さは変わらなかった。許せないのは、それ迄、バスの運行状況についての説明は皆無だったのにも拘らず、午後10時半頃になると突然、警官が拡声器を用いてバスはもう来ない見込みであるというアナウンスをし始めた。それと同時に、近くの体育館を緊急避難所に設定したので、明日の朝までそこで過ごすことが可能だというアナウンスも始まった。なにいぃー?! 今迄何の案内もなしに散々人を待たせて置いて、突然、もうバスは来ないから体育館に非難しろだとぉ?! そりゃないだろう…。時折日本酒をチビチビやりながら、スルメをしゃぶったりはしていたけれども、寒さに絶え続けてバスを待ったオヤヂのこの4時間は、いったい何だったんだ?

やり場のない憤りを感じながら、なかなか諦めが付かないオヤヂが、恐らく同様の気持ちでいる数百人の人々とその場に留まり続けていると、幸運にも横浜市営地下鉄が午後11時15分に運転を再開するというアナウンスがあった。それは素晴らしい! 結果的に、バスよりもずっといいジャン! と思うオヤヂ同様、安堵の表情を浮かべながら、小走りに地下鉄乗り場に急ぐ人々。おお、地下のプラットフォームは、何と暖かく感じられることか。文字通り生き返った気分になる。そうしてオヤヂは、アナウンス通りに運転再開された地下鉄列車に乗り、無事に横浜駅まで行くことができた。オヤヂが横浜駅に到着すると、恰もそれを待っていたかのように東横線が動き始めたので、渋谷駅までも問題なく行くことができてしまった。これは、当初の悲惨な状況から、一気に事態が好転し始めたぞ!

渋谷駅の周囲を見渡してみると、一見普通に飲食店が開いているのに驚いたが、あらゆるホテルは既に満杯で、ホテルのロビーにも人が溢れて雑魚寝状態だったし、タクシー乗り場にも長蛇の列ができていた。万一タクシーに乗れたとしても、恐らくは渋滞で動けなかったことだろう。取り敢えず、定食屋で腹ごしらえを済ませたオヤヂは、恵比寿にある実家まで渋谷から歩くことも考えたが、翌朝の勤務が気に掛かり(何故急に真面目ぶって見せる必要があったのかは不明だが)、何とか埼玉迄近付いておこうと悪足掻きしてみることにした。そして、私鉄や地下鉄を乗り継いで池袋駅まで出てみたのが大失敗、本当に悪足掻きに終わってしまったのだった。池袋駅からは身動きが取れなくなり、結局、浮浪者に混じって新聞紙にくるまり、池袋駅地下通路で夜を明かす羽目になった。こんなことなら、途中の新宿駅の地下道の方が、暖房が効いていてずっと快適だったのに…、などと後悔してみてもあとの祭り。寒くて一睡も出来ない儘に、夜を明かした。

夜が明けても、JR各線は運行を再開しない侭だったのには本当に苛立ったが、午前7時に東武東上線が動き始めたので、結果的にはオヤヂは定刻に余裕で間に合う時間に、何事も無かったように出勤することができたのだった。列車に乗り込むと、暖かい車中でついつい眠りこけてしまい、勤務先傍の駅では乗り過ごし、遠くの田舎駅からわざわざ戻らねばならなくなったのだが、それでも余裕で遅刻を免れ得た。

それにしても、まさか自分が帰宅難民になるなどとは、夢にも思わなかったなぁ。地震の揺れは、首都圏でも非常に大きかったことは確かだが、都内の建造物や、道路・線路などの直接的な被害は殆ど無かった筈なのに、何万人(?)もの帰宅難民を出す結果になったシステム(特にJRの対応)は、今後改善の余地ありだろう!!

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