Lotusはスーパーカーか?

背骨と指の骨折という大怪我をものともせず、短期間の静養で不死鳥のように蘇ったオヤヂは、念願のLotus Exige Sの試乗を果たした。LotusExige02.jpg その結果、予想通りの素晴らしいクルマで、まさしく一般道を走れるレーシングカーそのものである事が確認できた。しかし、購入は恐らく見送ることになりそうだ。その理由は(下卑たもので遺憾なのだが)価格だ。

オヤヂの1年来の愛車であるAudi RS4は、街乗りからサーキットまで、どこでも高次元の走りを約束してくれる、超高性能セダンだ。しかし、サーキット走行に限って言えば、そのオールマイティな性格が災いして、ベストなクルマとは言い切れないのも事実で、特に約1.7トンもある車重は、RS4の最大の弱点だとオヤヂは思っている。そこで、軽量スポーツカーの傑作(である筈)のLotus Exige Sの出番となる訳だ。オヤジがExige Sに求めるのは、サーキットまで一般道を自走して行き、思う存分サーキット走行を楽しんだあと、再び自走して自宅に帰る、という条件なため、ナンバープレートが取得できない仕様は不可である一方、サーキット走行に不要な装備は極力省き、尚且つサーキット走行に有利な(筈の)装備は極力付ける、という方向で拘ったカスタム仕様(勿論、メーカー/ディーラーオプションで可能な範囲で、という制限付だが)で見積もりを取った。すると、諸経費込々の価格が約1千万円になった。

1千万円というと、現在の愛車の購入価格とほぼ同額である。乗換ではなく、買増の車に払う金額としては、貧乏なオヤジにとっては非常に大きなものだ。一般的な話として、何かを購入する際、その商品に絶対的乃至は相対的な価値を認められることが必須である。その商品の”価値”に対する対価としての金銭を払う、というのが「売買」という行為なのは、誰でも知っている常識だ。商品の”価値”が、絶対的であったり普遍的である必要は必ずしも無く、買い手の主観的な価値が売り手の主観を上回っていれば、勿論売買は成立する。換言すれば、売り手が得る利益(=代金)が買い手の得る利益(=商品)を相対的に上回れば、売買は成立する。しかし、売り手か買い手のどちらかが得る”利益”が、明らかに相手よりも低い(と感じられてしまう)場合や、売り手が商品の虚偽の価値を謳うだけであったりする場合は、売買は不成立、乃至は売り手が詐欺行為を働いていることになる(買い手が損を承知で代金を払っている場合を除いて)。

ところで、乗用車の価値を量る基準としては、安全性、利便性、経済性、走行性能、デザイン、など様々な要素があると思うが、普遍的な価値に通じ易いのは前半の要素で、後半の走行性能やデザインは、かなりの妥協が必要な場合が多いだろう。そういった中で、Audi RS4は全ての要素をかなりの高次元で充足しているクルマだとオヤヂは確信している。一方、Lotus Exige Sの場合、走行性能は世界屈指で、一般道「も」走れるレーシングカーと言いえる領域に達しているのに加えて、経済性を「維持費」で見れば、極小エンジン(排気量はたったの1800cc)や小径タイヤ等が大きく寄与してかなりの高得点を稼ぐであろう。けれども、利便性や安全性は大きく犠牲になっていると考えられる。要するに、サーキット走行以外の用途は殆ど想定不能な特殊なクルマだ。その意味では、Exige Sの普遍的な価値は限りなく低いかもしれない。

「1千万円」に拘って話をすれば、嘗てオヤヂが所有していたNSXや、その後買い換えたNSX type R(初代)も、まさにその価格帯の車だった。NSX-Rの方が、方向性としてはExige Sに近いが、高級感、といったものを問題視する場合、NSXとElise/Exigeとでどちらが上かは明らかだ。しかし、NSXはこの世から淘汰されてしまったクルマである一方、Elise/Exigeは生き残り続けているわけで、軽さを一番の武器にして走りを追究する潔さについては、HondaよりもLotusの方が何枚も上手だったことの証明だろうし、それをユーザがきちんと評価し続けた結果だとも思う。

Lotusの販売員は、いみじくも”スーパーカー”とLotusを評していた。確かに、(近々復活が囁かれている)Espritだったら、スーパーカーと呼んでもいいかもしれない。1980-90年代の基準ならば、当時のEspritは間違いなくスーパーカーだった。では、現代のExigeはスーパーカーなの? ということになると、オヤヂの答えはノーだ。確かに、Exige Sは一般的なクルマよりは遥かに速く走れるし、スタイルも所謂スポーツカーそのものだ。しかも見掛けだけではなく、車体の骨格構造や材質も、ある種のレーシングカーに通ずるものがある。エンジンだけを見ると、スポーツカー専用に開発されたものではないし、そのスペックは必ずしもスポーツカー的でもないが、クルマとしてのパッケージングを総合的に眺めれば、とにかく非常に速いスポーツカーに違い無い。けれども、とあるクルマが”スーパーカー”と呼ばれる為には、誰をも納得させるだけのカリスマ性というのか、確立されたブランドイメージやデザイン性がとにかく飛び抜けていることが必要だと、オヤヂは信ずる。そういう意味では、NSXは1990年代に充分速く、それなりに高価であったが、ブランドイメージの確立に失敗してスーパーカーに昇華する前に消え去ったし、日産(スカイライン)GT-Rも、特に今度の新型は殆どあらゆる局面でFerrariPorscheよりも速く走れる超高性能ラグジュアリーGTだが、ブランドイメージが”スーパーカー”ではないと思う。最近発売されて大いに話題になっているAudi R8でさえ、最高出力420馬力のエンジン、最高速度300km/h超の速さ、1670万円という価格をもってしても、スーパーカーという表現で呼ばれているのを、オヤヂは殆ど見たことが無い。それは取りも直さず、人々の間でそういうイメージが確立されていないからに他ならない。

歴史と実績に裏打ちされたPorsche、Ferrari、そしてLamborghiniに代表されるメーカー/クルマには、1千万円から1億円超の普遍的な価値があると言い易いのだが、残念ながらそこまでの普遍的な価値をLotusに認める人は、少数派だと思う。それは、Lotusがエンジンを自社製造しない(できない)会社であるからかもしれないし、会社が斜陽になり、歴史の中のみで振り返られるべき存在に、繰り返して何度もなり掛けてきたからかもしれない。Lotus車は英国の誇る伝統工芸品である、という意見も耳にしたことがあるが、ではその伝統工芸品の品質や性能がスーパーなの?と問うた場合、オヤヂの答えはやはりノーだ。英国の伝統工芸品の質を議論するなら寧ろ、(スポーツ寄りのメーカーとしては)JaguarやAston Martinこそ相応しい筈で、backyard builder的な存在のLotus製品の次元は、残念ながら数段低いところにあると、オヤヂは感じてしまう。

但し、相撲で言えば横綱級の相手(JaguarやAston Martin)に対して、小兵力士であるLotusが、軽量であることを最大の武器と基盤にして、小技を色々と繰り出し、充分に同じ土俵で勝負をしているところが妙味なのだろうとは感ずる。しかし、Porsche 911 CarreraAudi RS4よりも速く走れるからといって、同じ値札を付けることが許されるのか、というと、そこではどうしても普遍的な価値に通ずる工業製品としての品質に立ち返らざるを得ず、オヤヂとしては同じ値札を付けるだけの価値を見出せない、というのが結論だ。500万円程度の価格なら充分に納得できるのだが…。畢竟、先述の売り手と買い手の価値観に倍の開きがある故に、売買不成立、ということになる。

かくして、貧乏なオヤヂは、Exige Sに1千万円払うなら、Audi R8かPorsche 911 (997) GT3に2千万円払う方が、一般的な目や長い目で見た価値があるのではないか、と思ってしまう訳だ。最高速度が300km/hを超えるぞ、という方が、0-100km/hが4秒だ(けどその後の加速の伸び率は落ちる)ぞ、というよりも説得力がある場合も多々あるだろう(何れにせよ、サーキットに行かないと殆ど現実的な意味は持たない性能ではあるが)。

ひとたび拘り出せば、エンジンにも言及せざるを得なくなる。Exige/Eliseには、トヨタ製(ヤマハ製)エンジンが搭載されているが。本家のトヨタでは、排ガス規制問題かなにかで、とっくに自社製品(車)には搭載を止めているエンジンを、Lotusは08年モデルにも引き続き搭載し続けることになった。しかし、そんなことをいつまでも続けられる筈も無く、この後は新たな(別の型式の)トヨタエンジンを購入するか、別の会社のエンジンを購入する契約を締結しなければいけないだろう。この件は、今後長く乗り続けて行くにあたって、修理部品の供給といった問題も含めて、それなりの不安材料となる。

しかしまあ、素晴らしい走行性能を堪能できるクルマである事に偽りはないので、貧乏でなければつべこべ理屈を捏ねずに、さっさとLotus Exige Sを買ってしまうのだけれど、オヤヂの為だけの非実用的な玩具に大金を注ぎ込むことに、大いに不満げな妻の顔が常に脳裏を掠める以上、今回は見送らざるを得ない、か?

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