活路は姫林檎化?

ネットサーフィン(既に死語か?)をしていて、新しいマックが売りだされたことを知った。(例によってくだらない冗談で始めるが)勿論、ファーストフードの新メニューでもなければ、マック鈴木選手が投球フォームを改造した後に金銭トレードに出された訳でもない。カナダ原産の林檎であるMacintoshの新種のことだ、というのも嘘だ(冗句が執拗過ぎたか?)。

iPODが爆発的に売れたことで、iMacや”超高級(皮肉をたっぷりと込めて)”PowerMacシリーズの不振にも拘らず、潰れずに済んでいるアップル・コンピュータは、小型・低価格商品に活路を見出そうとしているのだろうか?新型マックはその名もMac miniで、iPODと並べて写してその小ささを強調するような写真まで出回る程、小さいらしい。まさしく姫林檎だ。嘗てアップルはMac Cubeを世に送り出して失敗しているが、今回は類似のコンセプトでも半端じゃない小ささだ。

しかも、今度の姫林檎はもうひとつ大きな特徴を備えている。Mac史上類を見ない低価格で販売されているのだ。基本本体価格は税込みで6万円を切っているので、DOS/V機と充分対抗可能な価格と言えよう。オヤヂがMacユーザだった15年前は、往年のモノクロ名機のSE30から、グラフィック機能を強調した天然色Macへの移行期間で、今では信じられない低解像度(640×480)の13″CRTモニタ(しかもわざわざ「フルカラー」を強調して売られる程、画期的な高性能モニタだった)に、IIciというカラー化の”走り”の機種のセットで、軽く100万円を超える金額が必要だったが、本当にイイ物が欲しかった人々は、迷わずMacを買った(筈だ)。PC(=非Mac)ユーザには全く馴染みの無かったPostScriptインタープリタと日本語PostScriptフォントを搭載した、レイザープリンタNTX-IIJの定価が120万円から半額に再設定されただけで、「安い!」といって飛びついたような時代だった。それでもMacを買う価値があった、というのが今では信じ難い。所謂映像関係の仕事に携わる人々と、ごく一部のマニア以外は、Macintoshというパソコンがあることすら知らないのではないか?その昔は、Macにしかできない事が沢山あったが、今やWindows版しか存在しないソフトウェアというのが山程あり、書店に置かれているパソコン関係の書籍も殆どがWindows関連で、Mac関連の本はLinux関連のそれよりも少なかったりするくらいだもの。

しかし、Macの外観デザインの多くは秀逸である。SE30、Classic、iMac、iBook、Cubeのどれもが、概観ではepoch makingな存在で、”類似”(だけれどもセンスのまるで違う下品な)デザインのPCが必ず出現し、必ずある程度売れた。PCユーザ(と開発者)のMacへの密かな憧れを表す端的な例だと思う。では何故Macは売れないか?答えは簡単だ。価格/性能比が悪いからだ。どんなに概観が格好良かろうが、どんなにOSが先進的だろうが、高いものは高い。欧州の高級セダンやスポーツカーへの憧れを持つ者は多くとも、廉価なトヨタ車で我慢するのと同じ理屈だ(オヤヂも乗っているホンダ車は、性能で売れるのであるから意味が違う)。

それがだ、恰もPorscheFerrariが日本の軽自動車ユーザ層にも手の届く価格の小型車を売り出したかの如き、低価格姫林檎が発売されたとなれば、魅力を感ずるPCユーザがいても不思議ではない。Mac OS-XはFreeBSDが元になっている、乱暴な言い方をすればLinuxとは異母兄弟のような存在なので、大いに興味を持っているのだが、LinuxディストリビューションのひとつであるFedora Coreの次期バージョン(FC4)では何とPowerPCをサポートするという噂もあるので、そうしたらオヤヂも姫林檎を手元で何個か栽培してみたい気がしてきたりするのだ。

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