A Party with Sig. Balboni

今宵は、ラボルギーニ江戸川で、Signor Valentino Balboniを囲む集いに参加した。1968年に、創設後未だ間も無い(1963年創設) Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini S.p.A. にメカニック見習いとして入社したSig. Balboniは、程なくして会社創設者であるSig. Feuccio Lamborghini自らに請われて新車開発テスト・ドライバーに就任し、以来昨年(2009年)にチーフ・テスト・ドライバーの職を勇退する迄、Lamborghiniの生産車総ての実に80%を試運転したと伝えられている。近年のLamborghiniの市販車 (MurciélagoとGallardo) は全て四輪駆動方式を採用していたが、Sig. Balboniの勇退に際して、Lamborghini S.p.A.は彼に敬意を表する形で、「コーナリングのスリルを味わえた方が良い」という理由で彼が強く希望した二輪(後輪)駆動車のGallardo LP550-2 Valentino Balboniを、世界250台限定で生産・販売した。自動車会社が、車名にテスト・ドラバーの名を冠するというのは、他に類を見ない異例の措置であり、Lamborghini S.p.A.にとって如何にSig. Balboniが重要な人物であるのかを端的に物語る逸話なのだ。そんな偉大なお爺さん(おっと失礼)が来日して、間近で話をしてくださるというのだから、これはもう会いに行くしかないでしょ?

江戸川店の顧客の1人が路肩に駐めた、派手にカスタマイズされたLamborghini Diabloと、その傍らに立つSig. Balboni。

店内は急遽、パーティ会場へと模様替えされた。Sig. Balboniの右前方奥に見えるグレー・パールの車両が、Gallardo LP550-2 Valentino Balboniである。

表面をLamborghiniのエンブレムで飾られたケーキをカットするSig. BalboniとSig. Carlo Zambotto (Automobili Lamborghini Japan社長)。

写真やモデルカーに快くサインをしまくるSig. Balboni。

Lamborghini Miuraの模型にSig. Balboniのサインをして貰った上に、Sig. Balboniと並んで記念撮影ができてご満悦の、ランボルギーニ江戸川店長代理のT氏。Miuraの(プロトタイプの)発表は1965年であるから、Sig. Balboniは未だ入社しておらず、初期の開発には携わっていない筈だが、発売後もMiuraは改良を重ねながら1973年まで生産が続けられていたので、後期モデルの開発にはSig. Balboniも参画していたのかもしれない。

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