議論

今日は部下と議論をした。筆者の短気な性格が災いして、途中で思わず声を荒げてしまったことがあったのが大きな反省点であるが、それを補って余りあ る収穫があった出来事であると思っている。即ち、部下の性格や今迄の生活(職場環境)を窺い知ることができたし、筆者の本質(の一部)を部下に見せる結果 にもなり、更には独りで働いていたのでは決して得られない刺激をし合うことができたので、一言で総括するなら、満足できた、のである。

部下には大きなみどころがあることが判った。物怖じせずに、自分の意見をハッキリと述べ、主張し続けることができるのだ。また、冷静さを各場面も あったオヤヂに比べると、ずっと冷静さを保ち続けていた(少なくとも傍目には)のも立派だ。外見から受ける印象よりもずっと肝が据わっていて、根性がある ようだ。更には、最終的には相手の意見を受け入れるだけの素直さも持っているらしい。自分に自信を持つこと、信念を持つこと(そしてそれに基づいて行動を 貫徹すること)、しかし素直さと柔軟性を忘れないこと、は職場に於いて非常に大切なことだと筆者は信じているので、その意味では部下は合格だ。

しかし大きな欠点もあった。論拠が脆弱なのに、闇雲に自分の意見を主張するのだ。部下の論拠の多くは、自らの経験、だ。しかし、仮にも10年以上も 先輩(しかも超優秀)の上司に、自らの個人的な経験に基づいて議論を挑んだところで、論駁の敵うことはまずあるまい。断っておくが、筆者は単に先輩風を吹 かせるだけの小さな人間ではない積りだ。相手がたとえ子供であろうと、正当な論拠のある意見にはきちんと耳を傾けられるし、その意見に納得できさえすれ ば、同意もする。また、誰かの説の受け売りではなく、自分で考えた意見を言うこともとても大切だと思う。

けれども、一般的に、個人の経験値など微々たるものに過ぎず、従ってその小さな値のみを拠り所にして議論を組み立てても、説得力には乏しい。その道 の第一人者と認められている人物の体験談なら、多くの人が敬意を払って聴くだろうが、その第一人者とてそう認められるまでには、他の人の経験を学ぶことで 自らの経験値を補う努力を怠らなかった筈だ。そう、人々は自らの経験を、書物等に記録することで伝える術を知っており、我々は先人と同じ経験をしなくと も、先人の記録から(短時間で疑似体験をしながら)経験値のみを獲得することが可能だ。それが即ち勉強だろうし、勉強することによって、多くの「事実」 (必ずしも真実である必要は無い)に裏打ちされた考えを持つことができるようになるというものだろう。

昨今、我々の周囲にはあらゆる情報が氾濫している。凡人の情報処理能力ではとても処理しきれない量の情報の洪水の中にいると、意識して積極的に情報 を選択して獲得する努力(=目的を決めた勉強)をしない限り、殆ど何も身に付かないように感ずる。受身でいては、情報は唯素通りして行くばかりだ。部下は どうやら、そういう積極的な勉強をした経験が無いらしい。結果として、ちょっとだけオヤヂが一緒に勉強してみる羽目になったが、これが結構自分の為になっ た。最近は以前に比べれば全くと言い得る程に勉強しなくなっていたし、昔勉強した内容も(忘れかけて)曖昧だったり、思い違いをしていたりした点があるこ とも明らかになったからだ。

結論。10日前に部下の赴任を喜んだが、それは間違いではなかった。やっぱり部下ができて良かった。

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