24シーズン7はもういらない?

米国の人気TVシリーズ「24 -Twenty Four-」のシーズン6を数日前に観終わった。米国でTV放映中にリアルタイムで観ていたシーズン1と2(の途中迄)を除いて、年末の我家の恒例行事として、僅かの仮眠と食事の時間を挿む以外は、ぶっ続けで24話を観続ける、ということをやっていた。1日(24時間)で起きる出来事をドラマ化した作品で、1時間毎を1話分として全24話を時系列に沿ってTV放送するというスタイルなので、DVD化されたものを纏めて観れば24時間で終る計算(実際にはCM放送時間分が除かれてDVD収録されているので、1話分の正味放映時間が約45分だから、凡そ18時間で全部観ることができる)だし、正直な気持ちとして観始めると途中でやめるのが困難なこともあって、一気に観てしまう方が何かと好都合なのだ。

ところが、今回は一気に観ずに、何日かに分けて観る結果になった。その訳は、これまで程は面白くなかったから、である。何故面白くなかったのか、までをも考えてみると、題名に反して、24時間を大幅に超えた時間の含みが、ドラマ全編に散見されるようになってしまったから、ということだと思う。シーズン1では、主人公が「自分以外の誰も信用するな!」と言われるところから始まる。これで主人公にとっては勿論、視聴者にも、登場人物全員の善悪の区別が不能になる。視聴者には、登場人物の背景や相互関係も判らないのだから、ドラマの進行に合わせて(しかし24時間以内に)、敵味方の判別をし、山積する問題を解決に導かねばならない。即ち、常に謎解きをする楽しみがあったし、文字通り先の読めない面白さがあった。

けれども、シーズンが進むに連れて、「常連」の登場人物も増えてくる。毎回、事故や事件で大量の人が死に、基本的にはシーズン毎に主人公以外の登場人物が、総入れ替えに近くなるようなストーリ展開にはなっているが、それでもシーズン6にもなると、随分と過去を引きずった顔が目に付くようになった。そうすると、誰が見方か、誰が敵かも見分けがつき易いし、人物の相互関係も理解し易くなってしまい、謎解きの楽しみが無くなってしまった。更には、過去との繋がりが視聴者にも明らかな部分が多過ぎて、ストーリー展開が必ずしも24時間の出来事に限られたものではなくなってしまった。

オヤヂが思うに、ドラマ24は最早24ではない。全米脚本家協会のストライキだか何かで、シーズン7の脚本製作が滞り、従って撮影も頓挫しているらしいが、主人公は相変わらず、Kiefer Sutherland演ずるJack Bauerのようだ。しかし、ライフワークを手に入れたかの如きKieferには申し訳ないが、主人公も含めて過去を一切断ち切り、仕切り直した上で”全く新しい1日”を始めない限り、24のシーズン7は不要だろう。

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