後悔

今朝の出勤途中、自分の取った(いや寧ろ”取らなかった”?)行動を、オヤヂは今日1日中後悔し続けている…。

いつもの通勤路を、前車に付いてぼんやりと走行していると、オヤヂの左前方の道端を、老婆が走っているのが見えた。正確には、走ろうとしているのだが歳のせいで走れず、しかし明らかに急いでいる素振りで、懸命に前に進もうともがき苦しんでいる感じだった。おまけに、絶えず右手を挙げて振っては降ろす、という動作を繰り返しているので、余計に危なっかしく見えた。ふとその老婆の150mくらい前方に目をやると、バスが停留所に停まっているのも見えたので、老婆はバスを呼び止めながら、そのバスに乗ろうとしているのだということが、理解できた。

しかし、老婆の走りは余りにも遅く、バスは余りに遠かった。案の定、バスは老婆を待つことなく、程無くして発車してしまった。そうして、前方の視界に発車したバスを捕らえ、バックミラーの中に崩れ落ちるようにその場に座り込んだ老婆を捕らえながら、オヤヂの心の中の葛藤が始まった。老婆は、走ったせいとバスを逃したショックで、心臓麻痺で倒れ込んだのではないか? だとしたら、今すぐ車を停めて、様子を見に戻るべきだろう。そして必要ならば救急車を呼ぶか、場合によってはオヤヂが自分の車で病院まで老婆を送り届けてもよい。第一、老婆が逃したバスは、オヤヂの職場の近くの駅行きだから、老婆が心臓麻痺でなかったなら、オヤヂが駅まで送ってあげてもよい訳だ。もしも老婆が駅まで行かずに途中の停留所で降りる積りだったとしても、オヤヂも同じコースを走るのだから、老婆を目的の停留所で降ろしてあげさえすればよいのだし。嗚呼しかし、こんな時に限って道路は混雑し、しかも流れは円滑だ。片側1車線の狭い道でこの交通状況では、道路脇に停車するのは容易ではないなぁ。どうしよう、停まるべきか、停まらざるべきか?

などと考えているうちに、オヤヂの車はとっくにバス停も通り過ぎ、バックミラーの老婆はどんどんと遠ざかって、やがてオヤヂの視界から消えてしまった。そして結局、オヤヂは老婆のところに戻りはせず、老婆の為に救急車を呼んだり、老婆の行く先を確かめたりすることもなしに、其の侭出勤してしまった。しかし、職場に着いてからも、道端に崩れ落ちた老婆の姿がどうしても脳裏から離れないので、同僚達にその話をしてみた。すると、「サングラスを掛けた怪しい髭親爺が、あんな派手なロール・ケイジが付いているオープン・カーに乗れと言ってくれても、普通の人なら絶対乗りませんよ、部長。」と皆が異口同音に慰めて(?)くれた。それで一応、自分を納得させることにしたが、夜になっても畢竟あの時どうして停まってやらなかったのか、と後悔し続けてしまっている、情けないオヤヂなのである。 😳

後悔」への2件のフィードバック

  1. そういった後悔は皆さん経験するのではないでしょうか?

    私の場合は、急に雨が降ってきた寒い日に傘をささずに濡れて歩いていた
    若い女性を乗せてあげなかったときでした。
    でも、後で自分の娘にその話をすると
    「私なら絶対に乗らない。どっか外国にでも売り飛ばされたら大変だもん」
    だそうです。(そんな悪人に見えるのかしら・・涙)

    人を信頼できない、親切を素直に受けられない世の中なのでしょうか?
    今度同じような場面に出くわしたら、断られても
    ちゃんと「駅まで乗りませんか?」と言おうと思います。

  2. なんでしょうねぇ…、残念ですが。
    小生があゆみさんのクルマに乗せて貰えそうになったら絶対に断りませんが、小生だって狼に豹変するかもしれないし、ましてや善良そうに見えても見知らぬ他人を乗せてあげるのは、何だか怖くありませんか?結局、乗る側も乗せる側も、素直になる自信を持ち難い時代なのではないでしょうか。

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