携帯電話で話したい

はじめに断っておくが、筆者(=オヤヂ)は携帯電話が嫌いである。主な理由は、便利機能の詳しい使い方が解からないのと、こちらの都合にお構い無しに掛かってくるから、だ。しかし、携帯電話の利便性は充分に認識している。そこで本稿のタイトルであるが、二重の意味を孕ませてみた積もりだ:即ち、”携帯電話について語りたい“、と”携帯電話を使って話したい“である。 前者については、既に語り始めているからよいとして後者はどういう意味か?…オヤヂは、公共交通機関の中で、携帯電話で話したい、のである。
列車やバスの中で今や必ず流れる、「車内では、他のお客様のご迷惑になりますので、携帯電話の御使用はお控えください。」というアナウンス。果たして、携帯電話を使って会話をすることは、本当に他の乗客の迷惑になるのか?そう、確かに迷惑にはなり得るだろう。が、それでは携帯電話「だけ」が、それほど迷惑なのだろうか?この問いに対してオヤヂが用意している答えは、否!である。携帯電話の使用が、他の乗客の迷惑になる理由/状況は、オヤヂが考えるに、3つある。

  • 会話がうるさい
  • 電波が精密機器に影響を及ぼす
  • 電話機を操作するための空間が必要

2番目の理由は、飛行機ならともかく、バスや列車なら乗り物そのものの運行に支障をきたすことは無かろうが、心臓ペースメーカー等の命に関わる精密医療機器に影響を及ぼす可能性も捨てきれない。けれども、実際には、携帯電話が精密医療機器に影響を及ぼす可能性は、当初想定されていたよりもずっと低いようで、近頃では病院でも携帯電話の使用を許可するところも出てきたらしい。それに、もしも携帯の電波が駄目なら、所謂”メール”も禁止されるべきだが、バスや列車のアナウンスの意図は「会話の禁止」にあるのは明らかだ。

3番目の理由は、車内が満員鮨詰状態の際には、物理的に携帯電話の使用が不可能だ、という意味である。

問題は1番目の理由だ。確かに、携帯電話を通じて、声を張り上げて(当人/周囲の人間の目に)見えない相手と交わされる会話を、傍で聞かされるのが大変苦痛なのは、間違いない。だが、そこにいる相手との会話が周囲の客に苦痛を与えないかというと、そんなことはなかろう。周囲の目や耳を全く気にしないオバチャン[オッサン]達(余談だが、近頃はオバチャン[オッサン]の低年齢化が著しい)の下品な会話に屡悩まされている輩も多い筈だ。大声の会話、が悪いのなら、オバチャン達は車内で喋るな、という旨の、云わば「オバチャンは会話厳禁」のアナウンスこそして欲しいものである。

逆に、携帯電話は、何処に居ても必要な会話ができるからこそ、便利なのであるし、元来そういう必要があるからこそ携帯しているものである(筈だ)。その便利で必要な物の使用を、闇雲に禁ずるのはどうかしている。実際、オヤヂは米国マサチューセッツ州ボストン市での2年間の生活期間を含め、海外で公共交通機関を利用する機会を数多く持ったが、携帯電話の使用を控えるよう促すような車内アナウンスは、聞いたことがない(一応断っておくが、少なくとも英語に関しては、オヤヂにとって言葉の障壁は無い)。携帯電話を車内で利用する者の良識に依存するのは明かだが、皆(正確には殆どの人々が)上手に使っている。例えば、家族に駅まで出迎えに来て貰う必要がある人は、”Hi, Mom! It’s Betty. I’m on the train, which has just left Downtown Crossing. So I’ll be at Quincy Center in twenty minutes. …Yeah, that’s right. See you there… I love you, too. Bye.” といった具合だ。この程度の会話なら、傍で聞かされても何ら苦痛は無い。寧ろ、健全な家族愛を確認できて、微笑ましい限りだ。

もしも、携帯電話のマイクロフォンに向かって大声を張り上げる必要があることが根本的な問題なら、指向性が強くて高感度なマイクロフォンを開発すればよいだけの話だろう。骨伝導を利用したスピーカ付の携帯電話の宣伝をTVで見たことはあるから、喉の振動を検出したり、囁き声でも拾い上げることができたりするマイクロフォンを付けることだって可能なのではないか?オヤヂはその手の技術には疎いので、確信は無いけれど。日本の公共交通機関の車内で、恋人どうしや夫婦達が、携帯電話を通じて愛を囁き合える日が来ることを、オヤヂは望んでいる。愛の言葉の囁きを、無理なく隣で盗み聴きできるのは、至極楽しそうだと思うのは、オヤヂだけだろうか。

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