タイピング

職場でのオヤヂのオフィスは、相部屋だ。7人の部長達が、机の周囲を衝立で仕切られたキュービクル(cubicle)に其々押し込められ、小さな1部屋で「机を並べて」仕事をしている。

オヤヂの両隣は、2人とも60前後の親爺達 で、PCは辛うじて使えるけれども、道具として使いこなす域には程遠く、ワープロソフトさえ滅多に使わないような人々なので、キーボードを叩く音も滅多に聞こえてこず、オヤヂには無害な存在だ。問題は、2つ隣の席の50歳台半ばの親爺だ。彼のPCキーボードを叩く音の大きさが、半端じゃなく大きいのだ。キュービクルの場合、人の背丈よりも低い衝立で仕切られているだけなので、当然音声は部屋中筒抜けな訳で、常識的には、大声で喋る(例:電話)のを遠慮すべきなのは勿論、物音をたてる際にも周囲に気遣いを欠くべきではない。

ところが、その親爺は周囲への気配りが一切無い。電話が掛かってくれば、恰も個室に居るかの如く平気で大声で話すし、キーボードは力一杯(しかもノロノロと)叩きやがる。恐らく彼は、タイピングを本当の機械式英文タイプライタで練習した口だろう。機械式英文タイプライタの場合は、例えばピアノの鍵盤をフォルテの強さで叩くような気持ちで、1つ1つのキーを確実に叩かないと、文字が打てなかった。しかも、インクリボン(インクの染み込んだ布製リボン)を使うタイプだと、キーを打つ力の強弱で、紙に印字される文字の線の太さや濃さが変ってしまうので、均一の力を込めてキーを叩かねばならなかった。オヤヂ自身も、タイピングは中学/高校生の頃にイタリアOlivetti社の英文タイプライタで練習したので、よく解る。

しかし、IBM社(International Business Machines Corporation)製を始めとした電子タイプライタが普及するようになると、キータッチは羽根のように軽くなり、インクリボンもプラスティック製のテープに貼り付いた顔料を紙に転写する形式に変わった。キーに指を触れさえすれば、あとは機械が常に同じ強さで活字をテープに打ちつけてくれるので、誰がタイピングをしても綺麗な印字が打てるようになった。そうこうするうちに、所謂パソコン(personal computer)が世の中に普及し、パソコン用ソフトウェアの1つであるワープロ(word processor)が文書作成用装備の主役になると、タイプライタは世の中から殆ど消え去ったと言っても良いだろう。オヤヂよりも若い世代では、タイピングの練習にタイプライタを使った、という人は恐らく珍しく、大抵はパソコンのキーボードでタイピングを覚えた筈だ。

ところで、電子タイプライタにしても、パソコンのキーボードにしても、要は各キーは電気のオン・オフのスイッチな訳で、 スイッチの断続に必要なだけの最低限の力を込めてキーを叩けば(キーに触れば)、文字の入力が可能な仕組みだ。人間なら、自分にとって必要な機器であれば、その機器に則した使い方をして当たり前だとオヤヂは信ずるし、オヤヂだって元々は機械式英文タイプライタでタイピングを覚えたのだけれども、PCキーボードにちゃんと順応し、この二十数年間ずっと、軽やかなタッチで素早いタイピングをしている。言うまでも無く、当然ブラインド・タッチだ。

ところが、二軒隣の机の親爺は、恐らく直視下に、不必要に精一杯の力を込めて 、ノロノロとタイピングしやがる。単にうるさいだけでなく、速さもリズムも全く欠いているので、その音を否応無しに傍で聞かされていると、本当に気になって煩わしい。嘗てオヤヂの上司で、今は某国立単科大学の教授の座に納まっている親爺が、やはり力一杯キーボードを叩いていたっけ。その頃は、今よりもずっと忙しい職場に居たから、皆が一斉に机に向かってキーボードを叩くような、時間的な余裕は全く無かったので、タイピング音など問題になり得なかったが、今は違う。近々、二軒隣の親爺にはガツンと言ってやらねばならない。Cool

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