竹は、日本人には馴染み深い植物である。成長した本体は、建築資材、竿、杖、調理器具、その他の生活用品に遍く利用され、芽は筍と呼ばれて食用にされる。その属性から、「竹に油を塗る」だとか「竹を割ったよう」だとか、若く滑らかで爽やかな姿を連想させるものとして例えられ、総じて殆どの局面で”善玉”としての役割を担っているように思う。
竹には、地下茎が発達し、成長が早いので、群生するのも特徴の1つだろう。「竹林」というのは、古来日本の文学や絵画等の芸術に欠かせぬ存在であり、日本の風景の代表的な構成要素であることは間違いない。しかし、その地下茎が実は曲者で、充分に悪役になり得ることをご存知の方も多いだろう。

オヤヂの家が建っている土地の、道路を挟んで向かい側は竹林である。また、敷地内にも嘗ては小さな竹林があったが、我家を建てる際に、ブルドーザーで地均しをしたため、表面の竹と、地下茎の大部分は処分された。向かいの竹林と、オヤヂの土地の竹林が道路の下の地下茎で繋がっていたかどうかまでは不明だが、少なくとも、敷地内の地下茎は未だ生きているという自信がオヤヂにはある。なぜなら、家の建築中にも、そして建築終了後にも、しぶとく発芽(筍のような本体ではなく、細い枝のような目が数本顔を出す程度だが)してきているからだ。なにしろ地下茎が地中深くに潜伏しているところから、地上に芽を出してきている訳なので、表面のその芽を掴んで引き抜こうとしても抜けない。仕方なく表面の芽だけを刈り取っても、暫くすると必ずまた復活して発芽してくる。厄介な奴らだ。特に、オヤヂの家の玄関脇には、洒落た積りでウッドデッキが設えてあるのだが、そのデッキの下にも竹が発芽してきており、いつか本格的な筍が顔を出し、あっという間に成長してデッキを突き破りはしないかと、オヤヂは密かに心配だったりするのだ。

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そこで、近所のホームセンター(セキチュウという、背骨[脊柱]のような名前の店だ)で、ラウンドアップという除草剤を買ってきて、撒くことにした。効果は直ぐに出るものではなく、数週間以上掛かるようであるが、筍が伸びてきてデッキを突き破る迄に間に合えばそれでよい。

ところで、近所のホームセンターは、田舎にあるせいで、都会の人が見たらまず間違いなく驚くに違いない程、とても広く大きな店だ。昔住んでいたボストン郊外には、Home Depotという、家を丸ごと自分で建てる事のできる資材と道具が全て揃っている超大型ホームセンターがあったが、今の近所の店だってそれを髣髴とさせる程だ。そういう店に行くと、何に使うのか俄かには判り難いような変梃りんな機器を売っていたり、あれば便利だろうけれど入手が困難そうに思える道具があっさり見付かったりする。だからオヤヂは、用がある時は特にだし、特別に用が無いときでも、ホームセンターに行くのは好きだ。

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