空虚に響くガソリン税暫定税率論議

「揮発油税」及び「地方道路税」を併せて(通称)”ガソリン税”ということ、そしてどちらも国税且つ目的税で、道路特定財源である、ということを、「ガソリン税暫定税率」に纏わる最近の一連の報道で、恥ずかしながらオヤヂは初めて知った。更に、1973−1977年度の道路整備五ヵ年計画の財源不足に対応する為に、「租税特別措置法」に基づいてガソリン税の税率が暫定的に引き上げられたが、その”暫定措置”が30年以上も期間延長を続けて継続されており、本年3月末で新たな期限を迎えるのを機に、論議が再燃していることも、初めて知った。そこで、(遅ればせながら)オヤヂなりにガソリン税”暫定税率”について、少し考えてみた。

ガソリン税率は維持されるべき、乃至は引き上げられるべきである、というのがオヤヂの結論だ。オヤヂが思うに、ガソリン税論議で問題になっている点は、「暫定」税率であること、特定財源であること、そして税率、の3つに集約されるだろう。特に最近は、原油(先物取引)が投機対象となり、価格が急激に上昇したことに伴って、国内の揮発油価格も大幅に上昇し、それが物資の原料価格や輸送価格の上昇に繋がることで、物価全般の上昇を招く結果になっている。「暫定」的に上乗せされている税率を見直すことで揮発油価格が下がれば、物価の上昇も抑えられる、というのが暫定税率見直し/撤廃論者の主旨であろう。

確かに、ガソリン価格の約半分は税金であるという事実だけを見れば、税率が非常に高いもののように見える。しかし、価格に対する課税ではなく、量に対する課税の為の”暫定”税率が定められている為、原油価格が大幅に上昇した今日でも、税額は不変であり、寧ろ小売価格(消費者が支払う代金)に対するガソリン税の割合としては、相対的に低下していると言える。その意味では、燃料価格が上昇したからといって、相対的に寄与度の低い税金をもっと安くしろ、というのは的外れな論議だという気がする。

第一、米国を除く西側先進諸国のガソリン価格に比べると、日本のガソリン価格はまだ安い方であり、それは取りも直さずガソリン税が(米国以外の)諸外国に比べて安いからに他ならない。つまり、ガソリンが高い(急に値上がりした)ことは問題なのかもしれないが、ガソリン税が高いことは、(諸外国の例を見れば)必ずしも問題ではない筈なのだ。恐らく、きちんとした審議がされず、即ちしっかりした根拠が示されない儘に、問題を先送りにする形で「暫定」課税が延々と30年以上も続けられてきたことが悪いだけで、根拠を以って税率を「決定」してしまえば、問題視する理由は無くなる筈だ。畢竟、「暫定」なのが問題なのだ。

話のポイントが少しずれるが、オヤヂはガソリン価格の上昇がそれ程悪いことだとは思っていない。燃料費が高騰したので、自動車やオートバイに乗るのを控え、徒歩や自転車で移動する機会が増えた、という話をよく聞くようになった。結構じゃないか。燃料費が高騰したので、燃費の良いエコな(= economical/ecological)クルマが売れるようになった。クルマが売れないのではなく、売れるクルマをつくれば儲かる時代は継続中。結構じゃないか。燃料費が高騰したので、代替燃料への関心が高まった。代替燃料は、化石燃料に比べてコストが高すぎて採算割れになるのが問題だったが、化石燃料の価格が上がれば、代替燃料の相対的な価格競争力が自然と上がる道理だ。結構じゃないか。

オヤヂが思うに、要するにガソリン税が道路特定財源である点が、最も問題なのだろう。既存道路の整備や、新規道路の建設にのみ、資金が使われるから、批判を浴びるのだ。化石燃料使用による二酸化炭素産生放出が、地球温暖化の原因の1つであることが明らかな以上、ひとたび環境問題に目を向ければ、道路が整備されて交通量が増え、化石燃料が更に燃やされる結果を招いているのに、更に道路を整備し続ける為だけにガソリン税を使い続ける、という悪循環を維持し続けるのは、やはり愚かだと言わざるを得ない。二酸化炭素放出行為に税金を掛ける、という意味合いでガソリン税を徴収し、それを一般財源に回すことで、幅広く人々の暮らしを支える為にお金を使う、というのならば、ガソリン税が高くとも声高に文句を言う人は減るのではないか?タバコの価格上昇率と喫煙者の減少率が必ずしも逆相関関係にはない例を見れば明らかなように、畢竟欲しけりゃ買うのが、人の常なのだし。かく言うオヤヂも、ガソリン・エンジンでバリバリ走るクルマの魅力には抗い難いので、ガソリンが本当に枯渇しない限り、貧乏だけれどガソリンをどんどん買って、ガソリン車を走らせまくるぜぃ!

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