ケータイ

オヤヂは、携帯電話が「携帯」と略され、更にそれが”ケータイ”とカタカナ表記され得るようになった経緯を知らない。元来、「携帯」という単語自体は、単なる一般サ変名詞で、”持ち歩くこと”という程度の意味しかなかった筈だ。それなのに、いつしか”ケータイ”は固有名詞的一般名詞として、携帯電話を指す言葉としての地位を築き上げ、日本の世の中に定着してしまったようである。

オヤヂが思うに、これは英語のtelephoneとphoneが今や同義語の如き扱いを受けているように見える(元来”phone”とは、”発音される音の最小単位を指す言葉”である筈だが)のと、類似している。因みに、英語で「携帯電話」を意味する言葉は、”cell(ular) phone”乃至は”mobile phone”である。前者は小型であること、そして後者は機動性、を指し示すニュアンスがあるので、後者の方が日本の「携帯電話」により近いイメージかもしれない。

ところで、本日急に、妻がケータイを買い換えた。しかし、何故妻がケータイを買い換えねばならなかったのかが、まるで理解不能なのだ。

オヤヂにとって、ケータイは文字通り携帯可能な電話でしかないので、通話機能が損なわれない限り(=詰まりは、最も基本的な機能が永久に故障でもし続けない限り)、買い換える理由を見付ける事は不可能である。恐らく、家の固定電話に関して言えば、新たにFAX機能が必要だとか、コードレスの子機を増設したい、とかいう場合を除いては、修理不能な故障でもしない限り、電話機の買い換えを検討する人は一般的に殆ど居ないだろう。オヤヂにとっての携帯電話は、そういう固定電話と全く変わりは無い。写真撮影機能やメール機能すらろくに使うことのできないオヤヂにとっては、新機種が登場して、どれ程便利な新機能が付け加えられたり、どれ程カッコいい外観になろうが、全くそんなの関係ねぇー(古過ぎるか?)状態だ。

iPhoneの便利さも、Windows mobileの必要性も、オヤヂには理解できない。妻も面倒臭がって、買い換えた理由をオヤヂにきちんと説明してはくれないので、なお始末が悪い。けれども、例え詳細な説明を受け、買い換える必要性やら(少なくとも)新機種の魅力やらが理解できたところで、貧乏なオヤヂには携帯電話を買い換える資金などある筈もなく、やっぱり結局、そんなの関係ねぇのではあるが。 😕

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