先日の大地震で壊れなかったら、全く話題に上っていないみたいだけれど、現在建築中の東京スカイツリーって、壊れなくて本当によかったね。未だ建築中とはいえ、高さは既に殆ど世界一なんだし、そんなに高い建物が、世界中で話題になるくらいに凄い地震に襲われても、被害が皆無だったというのは、素晴らしいことだと、オヤヂは思う。実際、設計も古くて、経年変化も起きているであろう東京タワーなんか、先端がひん曲がっちゃったらしいじゃない? きっと、大林組の社員の方々は、皆さん安堵なさったと同時に、とても誇らしい気分になっていらっしゃることでしょう!
帰宅難民
昨日の東北関東大地震の際には、オヤヂは偶々、大船に居た。十数階建てのビルディング内に居たオヤヂは、地震直後に停電が起きたことには気付いていたが、暫くして屋外に出てみると、大船の街全体が停電しており、しかも公道の信号灯まで消えていたのには驚いた。信号機が使えないので、公共交通機関(バスは勿論、タクシーも)も取り敢えずは運行を休止しているようだった。
大船駅から然程遠くないところに居たオヤヂは、(バスやタクシーが使えないので)仕方なく徒歩で大船駅に行ってみた。すると、夕方(午後5時頃)の大船駅は人々でごった返しており、改札口では駅員が拡声器で何か叫んでいた。駅員が叫んでいたのは、要約すると以下の内容だった:
- 地震直後からJRは列車の運行を見合わせており、運行再開の見通しは立っていない。
- バスやタクシーは比較的すぐに動き始める可能性があるので、それらの交通機関を利用して目的地に向かえ。
えぇーっ!? そんなこと言われたって、オヤヂは埼玉まで戻らなきゃならないんだから、バスやタクシーというのは無理でしょ。それに、信号灯が消えているので、交差点では四方から押し寄せた自動車が進むに進めず大渋滞で、いつになったら「目的地」に着けるのか不明だし。いっそのこと、取り敢えずは戸塚駅まで歩いてみるか?
戸塚駅に着けば、少しは「東京」(延いては埼玉)に近付くし、そのうちに列車も動き始めるかもしれない、という程度の、根拠の無い無謀な発想だったが、その侭大船駅の雑踏の中に留まっていても埒が明かない気がしたので、オヤヂはとにかく、歩き出した。
それなりの覚悟を決めて歩き始めたオヤヂではあったが、情けないことに、その覚悟は程なくして後悔に変わってしまった。まず、東海道線の線路沿いに沿って歩けば、やがては戸塚に着く筈だ、というオヤヂの目論見はすぐに砕け散ってしまった: 大船駅から戸塚駅まで、お誂え向きに線路に沿って伸びる道など存在しないのだ。尤も、オヤヂと同じように戸塚方面に歩き始める人は他にも大勢居たし、道路には標識(案内表示板)もあることだから、人々の流れに沿って歩き続ければ、一応は戸塚に向かって行けそうではあった。
けれども、暫くして日が暮れ始めると、様子が激変した。信号機が機能していない(信号灯が消えている)のは知っていたが、街灯も消えているし、それだけではなく街路沿いの店の明かりや、民家の明かりさえも、悉く消えていることに、オヤヂは改めて気付かされた。そしてそれに気付いてみると、要するに辺りが「暗闇」であることに恐れおののく結果となった。知らない街の知らない道を、暗闇の中で歩くことが、あれ程心細いことだとは、この時迄オヤヂは気付いていなかった。田舎道なら想像に難くないけれど、それなりに都会の道であっても、「暗闇」だと田舎道と同じなんだね。右も左も前も後ろも、とにかくすぐ近くでさえも見え難いし、ましてや遠くなんて全然見えないから、道がどっちに向いて続いているのか、真っ直ぐなのか、曲がっているのかさえも、定かではない。当然、案内表示板だって全然見えない。あることすら判らない。表示板があっても、明かりがないと読めない。ふと気が付くと、一緒に歩いていた筈の人影すら、殆ど見えない。嗚呼、何たる孤独感と絶望感に苛まれていることか!
それでも、時折通る自動車のヘッドライトの明かりを頼りに、オヤヂは何とか戸塚駅に辿り着くことができた。既に時刻は午後7時過ぎになっていたが、街は未だに停電したまま。しかし、驚いたことに(?)、戸塚駅の駅舎には何事もなかったように明かりが点り、大船駅以上に人々でごった返していた。地震発生後、数時間が経過しているのだから、そろそろ列車が動き始める頃かも?と思いながら、改札口に近付いたオヤヂの期待はしかし、あっさりと裏切られた。本日、JRは関東地方の全線で終日運休を決定しました、という旨のお知らせが、電光掲示板や張り紙で、そこらじゅうに出されていたのだ。地下鉄も、同様に動いていない。2階も1階も地下も、あらゆる改札口には、警察官や駅員が立ちはだかり、プラットフォームには誰一人立ち入らせないぞ、という当局の姿勢がありありと見て取れた。
列車で東京(=埼玉)方面へ向かう望みを完全に断たれてしまったオヤヂは、暫し途方に暮れていたが、ふと、自分の空腹と口渇に気付いた。考えてみると、大船駅から戸塚駅に歩いてくる道中、コンビニエンス・ストアの電気が消えていて飲食物の購入が不可能だっただけでなく、自動販売機も停電で使用不能だった為、地震発生以来数時間、飲み食いが一切できていない。幸い、駅舎内にあるコンビニエンス・ストアには明かりが点っており、人々が飲食物を買い求めているのは明らかだ。ということで、オヤヂも食料と飲料を買うために、店内に入ってみた。ところが、驚いたことに、既に飲み物も食べ物も、殆ど残っていなかった。ほぼ空になった商品陳列棚には、普段いかにも不人気そうなスナック菓子の一部と、アタリメ等の酒の肴、及びワンカップの日本酒が残されているのみで、弁当やサンドイッチの類や、清涼飲料水の類、そしてビールすらも、一切残されていなかった。仕方なく、不味そうな菓子と、酒の肴、そしてワンカップ日本酒を購入したオヤヂは、駅舎の外に出てみた。
すると、人々が長蛇の列を作っているのに、今更ながら気付いた。どうやら、横浜駅行きのバスを待つ人の列らしいことが、すぐに判明。しかし、どう見ても千人以上が並んでいるのに、バスが来ている気配は殆どない。けれども、他に東京方面に向かう手立てが無いオヤヂとしては、とにかく列に加わって、ひたすら待つしかなかった。そしてオヤヂは、暗闇・寒空の下で約4時間、バスを待ち続けたが、結局バスには乗れなかった。長蛇の列の最後尾では、列の先頭の様子は全く判らなかったが、時々列の先頭の様子を偵察に行っては戻ってくる男性の話から推測するに、途中からバスは来なくなってしまったようだ。後で聞いた話では、道路が渋滞していて、バスやタクシーは事実上走行困難な状況だったらしい。
本来ならば暖房の効いた列車に乗ってとっくの昔に帰宅していた筈のオヤヂは、現実には暗闇の寒空の下、たいした防寒効果も無い薄着の侭で、寒さに打ち震えながらひたすらバスを待っていた。午後10時頃になって、漸く戸塚の街が停電から回復したので、それ以降は電灯の明かりの下で待つことができたが、当たり前なれど寒さは変わらなかった。許せないのは、それ迄、バスの運行状況についての説明は皆無だったのにも拘らず、午後10時半頃になると突然、警官が拡声器を用いてバスはもう来ない見込みであるというアナウンスをし始めた。それと同時に、近くの体育館を緊急避難所に設定したので、明日の朝までそこで過ごすことが可能だというアナウンスも始まった。なにいぃー?! 今迄何の案内もなしに散々人を待たせて置いて、突然、もうバスは来ないから体育館に非難しろだとぉ?! そりゃないだろう…。時折日本酒をチビチビやりながら、スルメをしゃぶったりはしていたけれども、寒さに絶え続けてバスを待ったオヤヂのこの4時間は、いったい何だったんだ?
やり場のない憤りを感じながら、なかなか諦めが付かないオヤヂが、恐らく同様の気持ちでいる数百人の人々とその場に留まり続けていると、幸運にも横浜市営地下鉄が午後11時15分に運転を再開するというアナウンスがあった。それは素晴らしい! 結果的に、バスよりもずっといいジャン! と思うオヤヂ同様、安堵の表情を浮かべながら、小走りに地下鉄乗り場に急ぐ人々。おお、地下のプラットフォームは、何と暖かく感じられることか。文字通り生き返った気分になる。そうしてオヤヂは、アナウンス通りに運転再開された地下鉄列車に乗り、無事に横浜駅まで行くことができた。オヤヂが横浜駅に到着すると、恰もそれを待っていたかのように東横線が動き始めたので、渋谷駅までも問題なく行くことができてしまった。これは、当初の悲惨な状況から、一気に事態が好転し始めたぞ!
渋谷駅の周囲を見渡してみると、一見普通に飲食店が開いているのに驚いたが、あらゆるホテルは既に満杯で、ホテルのロビーにも人が溢れて雑魚寝状態だったし、タクシー乗り場にも長蛇の列ができていた。万一タクシーに乗れたとしても、恐らくは渋滞で動けなかったことだろう。取り敢えず、定食屋で腹ごしらえを済ませたオヤヂは、恵比寿にある実家まで渋谷から歩くことも考えたが、翌朝の勤務が気に掛かり(何故急に真面目ぶって見せる必要があったのかは不明だが)、何とか埼玉迄近付いておこうと悪足掻きしてみることにした。そして、私鉄や地下鉄を乗り継いで池袋駅まで出てみたのが大失敗、本当に悪足掻きに終わってしまったのだった。池袋駅からは身動きが取れなくなり、結局、浮浪者に混じって新聞紙にくるまり、池袋駅地下通路で夜を明かす羽目になった。こんなことなら、途中の新宿駅の地下道の方が、暖房が効いていてずっと快適だったのに…、などと後悔してみてもあとの祭り。寒くて一睡も出来ない儘に、夜を明かした。
夜が明けても、JR各線は運行を再開しない侭だったのには本当に苛立ったが、午前7時に東武東上線が動き始めたので、結果的にはオヤヂは定刻に余裕で間に合う時間に、何事も無かったように出勤することができたのだった。列車に乗り込むと、暖かい車中でついつい眠りこけてしまい、勤務先傍の駅では乗り過ごし、遠くの田舎駅からわざわざ戻らねばならなくなったのだが、それでも余裕で遅刻を免れ得た。
それにしても、まさか自分が帰宅難民になるなどとは、夢にも思わなかったなぁ。地震の揺れは、首都圏でも非常に大きかったことは確かだが、都内の建造物や、道路・線路などの直接的な被害は殆ど無かった筈なのに、何万人(?)もの帰宅難民を出す結果になったシステム(特にJRの対応)は、今後改善の余地ありだろう!!
無事帰国
フィンランドから無事帰国した。飛行機の中ではあまり眠れなかったので、オヤヂは疲れているし、眠い。明日から、日本の現実(仕事)に復帰できるのかどうか、かなり不安だが、とにかく夢心地の楽しい時間は本当に終わってしまった。
氷上運転訓練最終日(@フィンランド)
オーロラ観測再度成功(@フィンランド)
夕食後、ホテルのバーで、こだまさんとオヤヂがビールを注文して飲み始めて間も無く、オヤヂの携帯電話が鳴った。「今、オーロラが出てますよ!」「えー、マジッすかぁ? …行きます!」– という訳で、こだまさんとオヤヂは、ビアグラスを一気に空にすると、急いで自室にカメラを取りに戻り、連絡をくれた仲間の待つオーロラ観測所(周囲に灯りの無い、単なる広場だが)へと向かった。
オーロラ観測所へ着いてみると、しかしながらオヤヂの期待に反して、オーロラは見えなかった。「なんだ、もう消えちゃったんスカ?」「いえ、まだ見えてますよ。ほら、あそこ!」「え? どこ? ああ、あれね!」仲間の指差す方角の夜空をオヤヂが見上げると、薄ぅーい雲のような、白っぽい”モヤ”が見えた。一瞬、雲かとオヤヂは思ったが、暫く観察していると、その”モヤ”は絶えず形を変えている。殆ど風も無い今夜、雲にしては明らかに動きがおかしい。
試しに、三脚を立ててカメラを固定し、シャッターを30秒間開放にして、その”モヤ”の写真を撮ってみた。すると、驚いたことに、朱色から緑色にグラデーションが掛かった光の帯が写っていた。間違いなくオーロラだ。先日見えたオーロラは、淡緑色の単色だったが、今夜のオーロラは虹色である。4泊のLapland滞在中、2晩もオーロラが見られたなんて、超ラッキー! 畢竟、酔っ払いのオヤヂ達は、与太話で盛り上がりながら、小1時間オーロラの写真撮影をした。
氷上運転訓練3日目終了(@フィンランド)
氷上運転訓練の”仕上げ”とも言い得るイベントが、「ナイト・ラリー(night rally)」である。Lapland, Finlandの凍結湖面氷上特設コースは、当然ながら、公道や常設サーキットの如き照明設備を持たない。従って、夜間に氷上を走行する場合は、自車のヘッドライトの明かりのみが頼りとなるわけだが、何しろ、余程低速でグリップ走行しない限りは、普通にブレーキを踏んでも止まれないし、普通にステアリングを切っても曲がり切れない、ツルツル滑りまくるクネクネ道(コース)であるから、ドライバがヘッドライトの明かりで得られる視野の情報だけを頼りに、ある程度の(昼間の走行に近い)速度で走り抜け、タイムア・タックをする、などというのは絶対に不可能だ。
では、どうするか? 自動車競技としての「ラリー(rally)」と同様に、助手席に座ったナビゲイタが、ドライバに指示を出し、ドライバはその指示に従って、速度調節とステアリング操作を行なう、というシステムを採用するのだ。Rally競技では、予め下見走行をしながらペース・ノート(pace note)というのを作るらしい(図参照)。ダートや雪道の、連続するブラインド・コーナーを超高速で駆け抜け続けるrally競技では、ペース・ノートに基づいてナビゲイタが的確な指示を出し、ドライバはその指示を忠実にドライビングに反映させる、という作業が必須であるが、我々の暗闇の中での氷上ナイト・ラリーも、まさしくそういう競技である。
Audi Driving Experience Situation 6では、受講者2人が1組となって1台の車を交互に運転する、という形で氷上ドライビング・レッスンをすすめてきた訳だが、オヤヂは2日目以降、殆ど常に「こだま」さんをパートナーにして練習してきた。日本国内でも普段から仲好しのこだまさんとオヤヂは、氷上運転訓練でも息がピッタリ合っていた。やや過剰とも言えるダイナミックなスロットル操作を意図的に行って、派手なドリフトを繰り返し、クルマを自由に操る練習をするこだまさんに対して、慎重なスロットル操作で穏やか/滑らかなドリフトを心掛けるオヤヂは、互いの利点を素直に認め合い、パートナーのドライビングの良い点を自分のドライビングに取り入れることで、単独で練習するよりもずっと大きな学習効果をあげて来た。そこで、ナイト・ラリーでもその儘ペアとなることにし、2人でこの上なく真剣にペース・ノートを作成した。
昼間に散々走行練習をしたコースをそのまま走るのでは、いくら暗闇の中の走行とはいえ、かなり練習効果が現れてしまう可能性があるため、コース2と3を繋げた長距離コースを”逆走”する競技ルートが設定された。こだまさんとオヤヂは、日没前にその競技ルートをゆっくり走り、R3(中等度にキツイ右コーナー)、L1(緩やかな左コーナー)、St30(続いて直線20メートル)、L5SS(左のヘアピンで極度に滑り易い)、etc…という具合に、詳細なペース・ノートを作成。その上で、(未だ日没前なのでドライバ自身が広範な視野を持ってはいるのだが)本番のナイト・ラリーを想定し、ペース・ノートに基づいた”それなりの”高速試走も行ってみて、ペース・ノートの正確性と有用性を確認すると共に、我々の「勝ち」を確信したのであった。
ところが、走行直前に、こだまさんとオヤヂの脳裏を悪魔の囁きが過ぎった。「ところで、ESP (electronic stability program)はどうする?」「んー、なりふり構わず勝ちに行くなら、オンにして走ろう。」「うん、じゃあ、そうしよう。」–しかし、この決定がとんでもない過ちだったことを、こだまさんとオヤヂは競技開始後間も無く、思い知らされることになる。
「2人1組で1台の車両(当然ながら全車Audi S5 Sportback)を使用。1人目のドライバがゴールしたら、ドライバとナビゲイタは交替し、再度走行する。夜間なので、コースアウトして雪の壁にスタックしても、救出用トラクタの出動はない。従って、とある車両の1人目のドライバがコースアウトしたら、その車両は競技終了(リタイア)となり、1人目のドライバのみならず、2人目のドライバも、自動的に失格となるので、コースアウトには呉々も気をつけるように。」等々の注意を受けた後、早速競技開始。優勝候補筆頭であるこだまさんとオヤヂのペアは、こだまさんの運転で、一番最初にスタートした。LED懐中電灯で照らしたペース・ノートを淡々と読み上げるオヤヂ。それに応えて、やはり淡々と運転するこだまさん。昼間は雪煙を上げながら派手な四輪ドリフトを決めまくっていたこだまさんだが、今はESPのお陰で、殆どグリップ走行状態だ。無駄に滑ることなく、地味に効率良く、1つ1つ順番にコーナーを通過して行く。「滑らかで安定したクルマの動きだが、やや速度が低いか? いやいや、オーバースピードでコントロール不能に陥るより、押さえ気味の速度で確実に走った方がいいだろう…」などとオヤヂが考えていると、最初の難所がやって来た。「次、R3だけどSSだ(=とても滑りやすい)よ。」とオヤヂはこだまさんに伝えたが、クルマは比較的高い速度を保った侭で、キツ目で滑り易いコーナーに侵入して行く…。
「あれ? こだまさん、何でブレーキ踏んで減速しないの? あれあれ? ライン取りがおかしいよ。もっとイン(コーナー内側)に付かないと。あれあれあれ? どうしたの、クルマの向きが変だよ! 嗚呼!」というオヤヂの心の叫びが虚しく響く間に、クルマはコーナーの外側に大きく孕む軌跡を描きながら、ザザーッ、ドスン!!と雪の壁に突っ込み・乗り上げて停止した。終了。全てがあまりに呆気なく終わた。
そうなのだ、ESPがこまださんの運転操作を悉く邪魔したせいである。その瞬間迄はタイヤが路面に対するグリップ力を保っていたのに、何かの拍子に急にグリップを失ってしまった、というような状況ならば、クルマが挙動を乱すことなく、安全に走行を続けられるように、ESPは素晴らしい威力を発揮してくれる筈だ。ところが、氷上の”高速”走行のように、常にタイヤがグリップを失い続けている状況では、ESPも常に介入し続けてしまう。その結果、4輪のうち何れかの車輪には常にブレーキが掛かり、エンジンの出力は絞られてしまい、車両は運転手の意図とは無関係に、ゆっくり且つ真っ直ぐに進むように、車載コンピュータの制御下に置かれてしまうのだ。即ち、ドライバが加速したいとか曲がりたいとか考えて、それなりの運転操作を行ったとしても、その操作が結果としてクルマの動きに反映される余地は殆ど残されていない状態になる。そんな訳で、昼間はスロットル操作で荷重移動やタイヤのグリップをコントロールしていたこだまさんにとっては、自分の意図を常にESPに否定される形になって、クルマを思い通りに操るのとは対極の状況に追い込まれてしまっていたのだ。
やっぱり、セコイ事を考えて勝とうと思っても、巧く行かないんだね。半ば茫然自失の状態でオヤヂに詫び続けるこだまさんと、そのこだまさんを慰め、また走行機会喪失という想定外の出来事に遭遇した自らを慰めているオヤヂとは、身動き不能でハザード・ランプを点滅させている車内に並んで座りながら、他の競技車両が8回(ナイト・ラリー参加者は、我々2人を含めて総勢10人だったので)、脇を走り抜けて暗闇に消えてゆくのを、寂しく見送り続けたのであった。
競技終了後、Christophに無事救助して貰ったこだまさんとオヤヂは、「ESPを使ったんだって? 莫迦だねぇーっ!」とドイツ人インストラクタ達から嘲笑を浴びせられ、仲間である参加者達からは憐憫の眼差しを向けられながら、さっさと夕食を済ませ、憂さ晴らしの飲酒をするためにそそくさとバーへ向かったのは、勿論である。
氷上運転訓練3日目(@フィンランド)
Lapland, Finlandの氷上でのAudi Driving Experienceも3日目を迎えた。明日の午前中にも2時間程度は氷上走行が可能な予定になってはいるが、早目の昼食を食べたら直ぐに(帰国の為に)空港へ向かわねばならないので、思う存分氷上走行訓練ができるのは、今日が最後である。
凍結湖面の氷上走行コースは、1(短)、2(中)、3(長)に分かれており、番号が大きくなるにつれて、カーブのR(半径)が大きくなり、平均走行速度が高くなるように設計されている。本日はまず、ギアも4速まで使える(3速ホールドで、目一杯エンジンを回して”遊ぶ”ことも可能だが)し、最高速も80km/h以上に達する、コース3の走行練習から始まった。コース3は、カーブの曲率や道幅が、舗装路のレーシングサーキットと似ているので、オヤヂとしてはかなり「実践的」な走行練習ができた。勿論、折角の低μ路でグリップ走行をしたのでは意味がないので、4輪ドリフトをしながら”氷上サーキット”を周回した訳だが、派手なドリフトをするのではなく、4輪を滑らせながらも、コーナーからコーナーへ最短距離で移動する感覚、というのを少し掴み掛けることができた気がした。舗装路面のサーキットでは、恐らく200km/h超の速度で走行していないと、この氷上でのコース3と同様のドリフト状態というのは起き得ないだろうと思うので、普通なら命懸の一大決心をしないと体験し得ない状況を、連続して好きなだけ体験できるのは、本当にこの氷上運転訓練受講者の特権だ。
そして、コース3の走行に慣れたら、今度はコース2と3を繋いだ、1周するのに10分を要するロングコースの走行練習だ。2つのコースを繋いだからといって、それぞれを順番に走るのではなく、スタートはコース3だけれども、途中からコース2の一部を走り、次いでコース3の一部を走ってからまた2の後半に戻り、最後は3の残りを走ってゴール、というような設定になっている。その為、変化に富んだ”新”コースが出来上がっており、3日間の仕上げにはもってこいなのだ。実際、コース3で調子に乗っていると、コース2に切り替わった途端にオーバースピードでコーナーを曲がりきれないとか、逆にコース2を慎重に走行したあとにコース3に戻った直後は、巧く適正速度まで加速できずに、高速コース走行の醍醐味を味わい切れなかったりと、まだまだ課題だらけであることを痛感させられたオヤヂであった。
昼食後には、レクリエイション企画の1つとして、ヘリコプターに搭乗し、凍結湖上の氷上コースを俯瞰させて貰った。薄々は気付いていたが、空から眺めてみると、やはり昨年よりも細長い形の湖が使われているのが明らかで、コースも細長いレイアウトだった。
死ぬかと思った(@フィンランド)
午後3時まで、”お腹一杯”に近くなる程、氷上ドライビングを堪能した後は、snow-scooter (日米で言うsnowmobile)での”雪原”探検ツアーに出掛けてみた。これはオプションのレクリエイション企画なので、Audi Driving Experienceの参加者全員ではなく、有志5人のみが参加した。(※写真は全て、プロカメラマンK氏の撮影)
Snow-scooterは、その名の通り雪上のスクーター(オートバイ)の如き乗り物である。通常のオートバイと異なり、前輪がソリ(橇)になっているが、ハンドルを切っただけでは曲がり難いのはどちらも同じで、曲がりたい方向への重心(荷重)移動が必要である。また、後輪はキャタピラ構造になっているので、車重も結構ありそうだ。インストラクタ兼道案内人のトミーから、基本的な操作や雪原走行中の注意点などの説明を受けた後、いざ出発!
「なぁーんだ、簡単ジャーン!?」というのが、オヤヂが最初に抱いた感想だ。ホテルのscooter置き場を出て暫くは、小高い丘に生えた木々(林)の間を抜ける形で、snow-scooter専用の圧雪通路ができており、スロットルレバーを”適当”に捻って速度を調節し、やはり”テキトー”にハンドルを操作するだけで、恰も列車の線路上を走るかの如く、いとも簡単にトミーの後をついてゆくことができたからだ。荷重移動も何も、難しいことは一切考える必要は無い。所詮、観光客のレクリエイション企画だからこんな程度なのだろう、とオヤヂが思い掛けた瞬間、今回取材で随行なさっている主婦の友社のM氏とカメラマンのK氏から、「もっと画(いい写真)になり易いように、大雪原を疾走したり、雪煙を上げながら縦横無尽に走り回れるようなところに連れて行って欲しい!」というリクエストが、すかさずトミーに伝えられた。
するとトミーは、「お廉い御用だ。2, 30分も走れば、新雪の積もった湖の氷上にでるから、そこで好きなだけ写真が撮れるよ。」という主旨の説明をしてくれた。ふうん、2, 30分ね。じゃあ、雪原で10分程度、遊びながら写真を撮って、また引き返して来るわけだから、あと1時間余りでホテルに戻れるということだよね。…イヤイヤ、とんでもない! それは途轍もなく大きな誤算だったことに、我々は間もなくに気付かされることになるのだ。
そうして暫く林間の小道を進むと、オヤヂたちの一行は、やがてトミーの言葉通り、恐らく湖上(=氷上)であることが伺える雪原に出た。ヒャッホーッ! 新雪だぁーっ! しかし、新雪は深雪で、丁度スキーと同様に、オヤヂのsnow-scooterフロントの橇がズブズブと沈み始める。い、いかん、もっと速度を上げねば。焦るオヤヂがスロットルを捻ると、scooterの速度は上がり、後方に荷重移動が起きた分、前方の橇は、やや雪面に浮き上がり気味になった。よしよし。が、疾走するsnow-scooterは、あっという間に湖岸(林)に近付く。ほ、方向転換しなきくちゃ、と思ったオヤヂは、左にハンドルを切ってみる。けれども、林間の小道では、on the rail感覚で苦もなく”道に沿って”曲がれたのに、ふわふわの雪原では全く勝手が違っていた。あれ? 曲がらないよぉ…? あぁ、そうか、重心移動を忘れてた! そしてオヤヂは、左側に体重を掛けてみた。すると、scooterの車体は左に傾き始めたが、進行方向は相変わらず元の儘で、一向に曲がる気配は見せない。えっ? 何で? どうして? 嗚呼、どうしよう?!!! とオヤヂが思っている間に、snow-scooterは横転してしまった。倒れて停まってみると、想像以上に重たいscooter。体の半分はscooterの下敷きになってしまっているオヤヂは、半ばパニック状態でスロットルを捻ってみるが、横転したscooter後輪のキャタピラは、雪上に露出してしまっている為、虚しく空を切るばかり。エンジン空吹かし状態のsooterとオヤヂは、一塊となり、ゆっくりと深雪の中に沈み込んで行く。先程までは、遠ざかって行く仲間のエンジン音が微かに聞こえていたが、雪にスッポリと埋まって塞がれたオヤヂの耳には、もう何も聞こえない。あぁ、終わったナ…。絶望感に打ちひしがれたオヤヂは、悪足掻きをさっさと諦め、雪に埋もれて凍死を覚悟し掛けた。すると、どこからともなく2本の逞しい腕が伸びてきて、苦もなくオヤヂごとscooterを引き起こしてくれた。トミーだ。そして、トミーが目一杯後輪(キャタピラ)に体重を掛けながら、鋭くスロットルレバーを捻り、一気にエンジン出力を上げると、雪に深く沈み込んでいたオヤヂのsnow-scooterは、呆気なく雪上に飛び出した。ふいぃー、命拾いしたぜ。有り難う、トミー。
しかしこれは未だ、「決死の」雪原探検ツアーの、ホンの序章に過ぎなかった。新雪/深雪の雪原は、自分達の手に余ることを思い知ったオヤヂたちは、トミーにホテルへ連れ帰って欲しい旨を伝えたのだが、優しいトミーは困惑顔で、「We’re NOT going back to the hotel.」と我々に告げた。えぇーっ? そ、そうなの? じゃぁ、どこに行くの? 何だ、お前ら知らなかったのかよ? と半ば呆れ顔のトミーの説明に拠れば、このあと我々はトナカイ牧場に寄り、そこでトナカイの橇に乗り換えてレストランに向い、この探検ツアーを取らなかった仲間達と合流して、一緒に夕食を食べる、という予定らしい。へぇ、そうだったんだ。そう言われてみると、インストラクタのChristophか、アシスタントのNadineがそんなことを言っていた気がしてきたナ。でも、目的地がレストランだと言われても、既に汗だくなんですけど…(気温は氷点下だけどね)? 大丈夫、レストランにはシャワーとサウナがあるから、とトミー。ほほう、でも、着替えは持ってませんけど…、まっ、イイか。それで、あと何分で着くの? んー、この後は速度を上げて突っ走るから、凡そ1時間くらいかな。!!…ヘーッ、結構遠いんだね。
という訳で、そのあとは、大雪原や林の中を、80km/h以上の猛スピードで疾走し続けた(いや、疾走し続ける筈だった)オヤヂたちは、更なる悪夢を見ることになった。暫くは、フルスロットルで気持ちよく疾走していたオヤヂたち一行だったが、そのうちに、オヤヂの目の前を走る仲間の1人が、次第に遅れ始めた。あとで聞いたら、ヘルメットのバイザー内側が曇ってしまい、前方の視界が極端に低下していたそうだ。そして、いつの間にか隊列から外れて、コース脇の木に激突! 横転して停止してしまった。けれども、遥か前方を疾走するトミーは、その事故に全く気付かずに、オヤヂの視界からも消え去ろうとしている。その場に留まるか、トミーを追うか、オヤヂは少し迷ったが、倒れた仲間の許には別の仲間が付き添っていたので、オヤヂはトミーを追うことにした。だが、幾ら走ってもオヤヂはトミーには追い付けず(当たり前だが)、畢竟、何気なく振り返ったトミーが異変に気付いて止まるまで、何km走ったことか! で、遥か彼方までトミーが引き返し、仲間を助けに行っている間、オヤヂは独りポツンと取り残されて、ひたすら仲間達を待つ羽目に。ふと気付くと、辺りは薄暗くなり始めている。そう、北極圏の日没は、勿論早い。
やがて、トミーと仲間達が戻って来た。幸い、木に激突した仲間に怪我は無く、我々はその儘、探検ツアーを続けることに。と言っても、万一仲間が怪我をしていたとしても、今更ホテルに引き返す訳にはゆかず、何れにせよトナカイ牧場乃至はレストランに向うしかなかっただろうけれど。既に夕闇迫る状態になっており、ヘッドライトの明りを頼りに走行せざるを得ない為、先程までよりはずっと速度が落ちる。しかも、雪原はいつの間にか消え去り、小さな凍結湖と林とが交互に現れる感じの場所を、木々の間を縫うようにして走るイメージだ。けれども、ホテル近くの林道走行と違い、この付近は他のsnow-scooterが最近通った痕跡は一切無い。従って、雪原ではなく林間なれど、新雪で深雪の中を進まねばならない。しかし、ハンドル操作の覚束ないオヤヂたちは、木々の間を縫って自由に走れる訳が無く、本来はトミーを先頭に一本の隊列を組んで走行する筈なのに、皆が思い思いの場所を走行することになる(その実、必死になって、取り敢えずは行ける処に行っているだけなのだが…)。が、新雪/深雪の中の自由走行は、基本的にオヤヂ達には無理なのは既に判っていた訳で、案の定、すぐに誰かがスタックしてしまう。スタックした仲間をトミーが救出する間、他の仲間達は已む無くその場に停止する。ところが、柔らかい深雪の上で、重量物が重力に逆らって留まっていられる筈は無く、snow-scooterは乗員諸共ズブズブと沈み始める。最初にスタックした仲間を救出し終わったトミーは、休む間もなく、新たに沈み始めた仲間を救出に掛かる。すると今度は、あっちに停まっていた仲間の助けを呼ぶ声が…。そんな感じで、トミーは延々と救助活動をし続けなければならず、オヤヂ達は一向に進めない儘に、永遠とも思える時間が悪戯に過ぎ去るのみ…。
しかしそれでも、蝸牛の歩みよろしく、一行が何とか少しずつ前進し始めた矢先、また誰かがスタックし、全員が止まった。疲れ切っている筈のトミーは、けれども疲れた様子を見せずに、すかさず救助にあたる。そして再出発。暗闇の中、互いのヘッドライトで照らし合いながら、皆スロットルレバーを捻る。本来なら静まり返っている筈の、雪に埋もれた真っ暗な凍結湖上に、一斉に鳴り響くエンジンの轟音。ところが、ここの雪は、柔らかな上に重く、フロントの橇の部分に纏わりつく感じで、snow-scooterがなかなか前に進み出さない。闇雲にスロットルを捻っても、後輪のキャタピラが空回り気味に雪を削るばかりで、ちっとも前に進まない。言わば、snow-scooterで自分の墓穴を掘りながらどんどんと下に潜って行く感じだ。そして数秒後、「墓穴」という言葉が冗句ではなくなる、衝撃の事象をオヤヂ達は見ざるを得なくなった: なんと、キャタピラで掘り返している雪の下から、水が湧き出てきたのだ! スロットルを捻って勢い良くキャタピラを回せば回す程、scooterは前進せずに、その場の雪と、更には驚くべきことにその下層の氷までもを、ガンガンと削って穴を開けてしまい、ついには穴から水が噴出してきたらしい。こ、こんなに隣接した状態で、重たいsnow-scooter (+太ったオヤヂ達)が氷に穴を開けまくってしまったら、やがては広範囲の氷が一気に割れて、皆一緒に湖水の中に投げ出されてしまうジャン? 氷が融け切らずに浮かんだ儘の水の温度は摂氏零度、というのは小学校理科で習うよね。ということは、湖水に浸かった瞬間に心臓麻痺は必発。皆一緒に湖底に沈んでしまうやないかぁーっ!? オヂサン、フィンランドの凍った湖に沈んで死ぬのか? いや、死んでから沈むのか? えぇえっ、でも、余りに急過ぎて(だって気楽にsnow-scooter体験ツアーに参加したダケだよ!)、思い残すことが一杯あり過ぎるなぁ…。無念だ!
等々と考えているうちに、幸いにも皆のsnow-scooterがほぼ同時に前に進み始め、オヤヂ達は一目散に陸地(と思しき所)迄到達することに成功、九死に一生を得たのであった。あとで聞いたら、凍結湖面に雪が降り積もり過ぎると、雪の重みで氷が水中に沈み、氷上に水が浸み出すことは、珍しくはないそうだ。そうか、キャタピラで削って氷に穴を開けてしまったから水が湧いてきたわけではなく、水の下にはちゃんと氷があった、という訳ね。だから、大騒ぎする必要は無かったし、勿論命懸けでも何でもなかった、ということか。なぁーんだ(汁)。
1時間どころか一生にも感じられた程長い時間(実際には2時間足らずか?)掛けて、やっとのことでトナカイ牧場に辿り着いたオヤヂ達は、そこでsnow-scooterとはおさらば(もう二度と乗らないぞ!)し、予定通りトナカイの橇に乗り換えた。オヤヂにとって意外だったのは、トナカイが色とりどりだったこと。カラフルと言い得るような色のバリエイションがあるわけではないが、白、灰色、茶色のうちの何れかが強く現れている毛並みになるため、要するに毛並みの色は、個体毎に千差万別なのだ。もっと、鹿が灰色っぽい色になった感じのモノトーンで統一されているのかと、オヤヂは勝手に思っていたのだが。
賢くておとなしいトナカイ達に牽かれた橇に乗ったオヤヂ達は、LED懐中電灯と僅かな星明りを頼りに、再び凍結湖面を横切り、レストランに到着。サウナで体を温め、シャワーで汗を流したあとは、露天風呂に入浴。日本の木製桶風呂に似た、楕円形の浴槽がポツンと戸外に置かれており、脱衣場(家屋)からはスッポンで屋外を走って、ザブンと浴槽に飛び込む仕組みなのだが、気温は氷点下数度だったので外気に曝された頭や顔は、寧ろ程好くひんやりとして心地よかったのだが、極端なぬるま湯だったので、流石に寒くて湯船から出られなくなってしまった。で、命懸け(笑)の探検ツアーを終えて、ギンギンの連帯感と友情が芽生えた仲間同士で語り合っているうちに、思わぬ長風呂に…。ふと気付くと、夕食が始まる午後7時半はとっくの昔に過ぎてしまっていた。慌てて湯船を飛び出し、寒さに打ち震えながら脱衣場のある建物に戻り、スポーツの汗というよりは主として冷や汗でずぶ濡れの儘の衣服を再度身に纏って、ダイニング・テーブルに行ってみると、雪原探検ツアーに参加しなかった人々から、「遅かったねー、待ちくたびれたよ! 何かあったの?」の言葉&眼差しの集中砲火を浴びせられた。しかし、それこそ我々探検組の思う壺というもの。待ってましたとばかり、「まあ聞いてよ。もう死ぬかと思ったんだから!」と、誰ともなしに命懸け(笑い)の冒険談を語り出し、夕食の場を大いに盛り上げることにまんまと成功したのだった。
楽しい晩餐が終わると、皆でマイクロバスに乗り込んでホテルに帰ったのであるが、帰路のマイクロバスの移動距離をみてオヤヂは、「探検ツアーで随分と遠くに出掛けたもんだ。そりゃぁ大変だったのも無理は無いよナ。」という感想を改めて抱いたのだった。